第2回フォトエッセイコンテスト「わが家のお仏壇物語」
□銅賞受賞作品□
「お仏壇の思い出」
渡辺 昌子(千葉県・女性・63歳)
 先祖伝来の我が家の仏壇は木肌が黒ずみ傷みもあったので、父が亡くなって三年目に(昭和五十年頃)、母が修理に出した。戻ってきた仏壇に思わず目を瞠った。全体が黒の漆で塗装され、破風や内部には金が塗られてお寺の「金堂」と見紛うばかり。母の思いと仏具屋さんの技で古い仏壇がみごとに甦ったのである。母が満足気に仏壇の奥の父に話しかけていた姿が忘れられない。
 その仏壇に私はとんだ失敗をしてしまった。十四年前に家を新築した時のこと。もっと綺麗にしようと、かたく絞った濡れ布巾で内部を拭いてしまったのだ。あっと気付いた時には、金粉が取れて赤茶色の地肌が露わになっていた。母さん、ごめんなさい。今は仲良く仏壇に納まった父と母に、手を合わせる毎日である。
 仏壇を整理しながら思わぬ収穫もあった。最も古い位牌は墨で文政八年と書かれてあった。文政といえば江戸の末期。私たちのご先祖は一体どこからこの地にたどり着いたのだろうか。そんな思いにかられてちょっとしたご先祖のルーツ探しが始まった。
 私の家は祖父の代まで船大工だった。かつて銚子から九十九里浜一帯は、黒潮にのって紀州や関西方面からの移住者が多い土地であった。私の祖先もそんな一人だったのだろうか。お寺の過去帳や位牌から、わかる範囲の家系図をつくることもできた。
 気になったのは、仏壇の奥に「――童子(童女)」と墨書された粗末な木片が白い布に包まれ納められていたことである。昔は成人まで育たない子が多かったと聞く。小さな位牌に込めたご先祖の悲しみが伝わってくる。
 我が家の仏壇には七代続いたこの家の歴史が刻まれている。ご仏壇が次の世代に確実に受け継がれていくことで、また新しい我が家の歴史が加えられていくにちがいない。