第2回フォトエッセイコンテスト「わが家のお仏壇物語」
□田中佛檀(彦根・京都)受賞作品□
「仏壇の記憶」
山本 鍛
(北海道・男性・80歳)
 私が子供の頃、我が家には立派なお仏壇があった。金箔の存在感を誇示するような大きな仏壇だったが、昭和二十年三月十日の東京大空襲で焼失した。両親と兄弟五人は奇跡的に命だけは助かった。私たちは戦禍を逃れるようにして北海道に疎開した。しかし、一週間後に終戦となった。
 そのまま北海道に定住したが収入は皆無、父と私は開墾作業の労働者になり日当稼ぎの毎日だった。そんな苦労がたたって父は風邪から肺炎を併発し、五十歳半ばで急死した。
 母がみかん箱に新聞を貼って小さな仏壇を作った。毎日、母は位牌に「狭いけれど我慢してね。そのうち立派なお仏壇を用意するからね」と語りかけていた。
 月日が流れて父の七回忌が近付いた頃、兄弟たちの話題に仏壇購入の話が持ち上がった。兄弟五人、それぞれが働く年齢になっていた。仏壇の購入は兄弟みんなが意識してきたことであり何よりも母の悲願であった。
 誰いうことなく「仏壇は兄弟みんなで買って母へのプレゼント」ということが暗黙の了解になっていた。母と一緒に仏具店に行ってカタログを見たり実物を見たりして、最終的に母が紫檀で質感のあるものを購入した。その他、店の人に聞き仏具類も揃えた。
 あれから三十年の月日が流れた。昨年は母の十三回忌。仏壇に手を合わせる度に、仏壇購入で母の喜んだ顔が目に浮かぶ。