第1回フォトエッセイコンテスト「わが家のお仏壇物語」
□銅賞受賞作品□
「生命のバトン」
永井三千代(埼玉県・女性・54歳)
父は、今年八十四歳。一人暮らしの自立老人だ。毎朝、仏壇にたきたてのご飯と水をお供えし、長いお経を唱えて一日が始まる。
 朝だけではない。一日の終わりにも、必ずありがとうございました、と感謝の言葉と共に深々と仏壇に頭を下げている。
 帰省した時に、何気なく耳を傾けていると、「○○がどうしました。」「おかげ様で○○でした。」と、長々と近況報告。私の娘達の高校、大学受験の時は、とりわけ仏壇に向かう時間は増え、「ご先祖様にお参りしたで、合格まちがいなしじゃ!」と、力強い予言電話がはるばる届いたりもした。
 父にとっていざという時は、ご先祖様。ご先祖様を大切にする事が、自れの幸せに通じると、心から信じているのだ。
 私が生まれるずっと前からあった、まっ黒な古ぼけた我が家の仏壇。掃除だけは、行き届いていた。ほの暗い彼方は、ずっと奥まで広がっているようで子ども心にも、不思議な空間だった。
 結婚して家を離れてからは、お正月とお盆に帰省した時だけ、私も娘達を正座させ、チーンと鐘を鳴らしお参りの真似事をしてきた。
 今年のお正月のこと。父にとって、ひ孫の蘭四歳を連れて帰省した。気がつくと、誰に教わった訳でもないのに、なんと彼女が仏壇に向かって小さな手を合わせて無心にお参りしているではないか。
 私は、日頃から神様、仏様を意識した事もない横着者だ。だがそこに、母や祖父母の写真と共に仏壇があれば、思わず手を合わせるだろう。四歳の幼い子にとっても同じだったにちがいない。自分の生命がどこから来て、どこへ行くのか?生命のバトンが確かにつながって今の自分があるのだ。
 日々の暮らしの中で、そう気づかせてくれるのは、今や仏壇だけなのかもしれない。