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仏壇と仏壇店情報
第7回わが家のお仏壇物語
父が亡くなった時、生き還って欲しいと私は本気で思い願った。そんな思いとは裏腹に時間は過ぎ行き、父の死を裏付ける儀式は行われ、私は更なる混乱の中でもがいていた。
そんな時、母が言った。
「三回忌までは、気を張ってかなきゃ」
8歳で祖父を送った時は泣きじゃくるだけで済んだが、28歳のその時は母の言葉がズシンときた。その重さはかなりのもので、胸が苦しくなるほどだった。だから、私はこう自分に言い聞かせた。 「私が、娘として三回忌まで任を果せたなら、父さんは還って来るかもしれない」と。
米搗きバッタのように弔問客に挨拶し続けて膝が腫れた。夏の暑さも冬の寒さも耐えしのんで墓参りを続けた。
父が還って来るかもしれない。その為の苦しさなら、耐えられた。誰に判ってもらえなくても、そんな空想に浸るだけで苦しみは吹き消されていった。結局、三回忌が過ぎて今年はもう18年になるのに、父は還らない。
でも、不思議だ。茶の間に鎮座し、味噌汁の匂いや馬鹿らしい口喧嘩や突拍子もない笑い声を、父はご先祖達とちゃあんと感じ聴いている。そう思う時、私はまだ癒し切れていない淋しさを、少し慰められる。
あれから、大叔母が、祖母が、逝った。父の時程の淋しさ悲しさは無い。それは頼る人がいなくなったせい。母も老いていく。姉にもそうは甘えられない。それに、甥達の手前繕わなければならない叔母の面子がある。
生まれながらの障害ゆえに、嫁ぐなどという人並みの幸せは諦めた。でも、不幸ではない。甥達に、託さなければならないことは、山とある。それは、私の行動で継がなければ。
だから、仏壇が一番華やぐお盆の姿を、この一枚に込めたい。叔母ちゃんの思いごと。
父さん、観てますか? 大叔母ちゃん、習った通り出来たかな? いつか私も、甥達を見守るのでしょうね。この仏壇の中から。