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仏壇と仏壇店情報
お知らせ
木村佛表具(大阪)は禅宗・臨済宗14派と黄檗宗の仏壇用掛軸三尊をご用意しております
お取り扱いの仏壇小売店様をご紹介申し上げます
木村佛表具(大阪)の臨済宗のお仏壇掛軸三尊
〒557-0041 大阪市西成区岸里3-11-15 TEL.06-6661-6377 FAX.06-6654-1808
掲載の掛軸は木村佛表具が著作権を保有しております。ネット・印刷物への転載は禁止されています。
臨済宗妙心寺派・臨済宗建長寺派・臨済宗円覚寺派・臨済宗南禅寺派・臨済宗方広寺派
臨済宗永源寺派・臨済宗佛通寺派・臨済宗東福寺派・臨済宗相国寺派・臨済宗建仁寺派
臨済宗天龍寺派・臨済宗向嶽寺派・臨済宗大徳寺派・臨済宗国泰寺派・黄檗宗
臨済宗のお仏壇掛軸三尊
臨済宗 基本的な三尊 釈尊を中心として達磨大師(向かって右)と臨済義玄(左)
唐代の禅僧、臨済義玄を開祖とする。鎌倉時代大応国師によって日本に伝えられた。
【釈迦如来像】釈迦(紀元前463~383頃、あるいは紀元前624~544)は浄飯王と摩耶夫人の間にインドに生まれる。生誕の地はルンビニーで、4月8日に行われる花祭り(灌仏会・かんぶつえ)は釈尊の生誕を祝うものだ。出家後、釈尊は苦行を重ね、ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開く。鹿野苑において初めて法を説き(初転法輪・しょてんぽうりん)、クシナガラの地で入滅する。この釈迦如来のお姿は、釈尊が結跏趺坐し、禅定印(ぜんじょういん)を結び、菩提樹の下で悟りを開いた時のお姿を表している。
【達磨大師】(だるまだいし・?~528?)中国禅宗の初祖。菩提達磨。円覚大師。北魏の末頃西域を経て、中国に来て禅宗を伝えたという。
【慧照禅師】臨済義玄(りんざいぎげん・?~866または867)は山東省の出身。黄檗希雲を師とし、大愚の下で悟りを開き、中国を代表する仏教となる臨済宗の流れを作りだした。
臨済宗妙心寺派
大本山妙心寺 京都府京都市右京区花園妙心寺町64 TEL.075-463-3121
大徳寺開山宗峰妙超の法嗣である無相大師関山慧玄を派祖とし、京都花園正法山妙心寺を本山とする。
【無相大師】関山慧玄(かんざんえげん・1277~1360)南北朝時代の臨済宗の僧。大徳寺の宗峰妙超に学び、その教えを継いだ。花園上皇に招かれ、妙心寺の開山となった。
【花園法皇】(はなぞのほうおう・1297~1348・第95代の天皇在位1308~1318)伏見天皇の第3皇子。仏教に精通し深く禅を好み、花園離宮を伽藍とし、関山慧玄を開祖として妙心寺を創開した。
臨済宗建長寺派
神奈川県鎌倉市山ノ内8 TEL.0467-22-0981
蘭渓道隆を派祖とし、相模(神奈川)鎌倉建長寺を本山とし、大覚派・建長門徒ともいわれ、鎌倉五山第一位に列せられて大いに栄えた。
【大覚禅師】蘭渓道隆(らんけいどうりゅう・1213~1278)は鎌倉にやって来た最初の来朝僧。四川省に生まれ。臨済禅の法を継ぎ、1246年に自らの意志で来朝。鎌倉に入ったのは1248年。執権北条時頼と出会い、全面的な支援を受け、鎌倉の地に建長寺を開いた。蘭渓道隆は禅堂での日常規範を定め、禅寺の基盤を日本に作り上げた。
臨済宗円覚寺派
神奈川県鎌倉市山ノ内409 TEL.0467-22-0478
鎌倉五山の第二位、円覚寺を本山とする。古くは同寺に各派の法系のものが住したために、広く中国・日本の名僧がことごとく一度は住した十万刹として名高い。
【佛光国師】無学祖元(むがくそげん・1226~1286)は浙江省に生まれ、無準師範(ぶじゅんしばん)に禅を学んだ。蒙古との戦いで命を落とした武士の追善供養のために建てた円覚寺の開山となる。
臨済宗南禅寺派
京都府京都市左京区南禅寺福地町 TEL.075-771-0365
聖一派、無関普門(玄悟)を派祖、京都瑞竜山南禅寺を本山とする。足利義満の五山制度を改定した際に、五山第一五山の上と定められた。
【大明国師】無関普門(むかんふもん・1212~1291)は13歳で祝髪、19歳で上野(群馬)長楽寺の釈円房栄朝に謁し、菩薩戒を受け顕密二教を習った。正応年間(1288~1292)亀山上皇の離宮に妖怪が出たので、師が宮中で禅坐して退けた。上皇は禅宗に意を傾け、宮を禅刹とし第一祖に迎えた。これが太平興国南禅寺である。
臨済宗方広寺派静岡県浜松市北区引佐町奥山1577-1 TEL.053-543-0003
入元して楊岐派古梅正友の法を伝えた聖鑑国師無文元選を派祖とし、静岡県引佐郡奥山方広寺を本山とする。
【聖鑑国師】無文元選(むもんげんせん・1323~1390)は7歳で山寺に入り、和歌や禅定に励む。1350年帰朝後、洛西の岩倉に帰休庵を結んで居す。遠江(静岡)の是栄居士は奥山に梵字を構えて方広寺として始祖に請じ、1384年これに応ず。
臨済宗永源寺派
滋賀県東近江市永源寺町高野町41 TEL.0748-27-0016
滋賀県神崎郡永源寺町高野にある永源寺を本山とする。同寺の開山円応禅師寂室元光を派祖とする。
【正燈国師】寂室元光(じゃくしつげんこう・1290~1367)は13歳で出家、東福寺に入る。31歳で中国に渡り、帰朝後西国の山林に草庵を結ぶ。その後、近江の国主佐々木氏頼の請によって永源寺の開山となった。
臨済宗佛通寺派
広島県三原市高坂町許山22 TEL.0848-66-3502
即休契了の法嗣、愚中周及を派祖とし、安芸(広島)佛通寺を本山とする。
【愚中禅師】【佛徳大通禅師】愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう・1323~1409)は13歳で夢窓に投じ出家、のち春屋妙葩に参じ、1340年18歳で入明、即休契了に参じ、その法を継ぐ。1395年に小早川春平の開創した佛通寺に入り開山となった。
臨済宗東福寺派
京都府京都市東山区本町15 TEL.075-531-5207
入宋して楊岐派無準師範の法を伝えた聖一国師円爾を派祖とし、京都東山慧日山東福寺を本山とする。1386年には五山第四位に列せられた。
【聖一国師】圓爾弁円(えんにべんねん・1202~1280)8歳で台教を学び、のちに禅宗に帰す。藤原道家の帰依を得て、臨済禅の興隆期に鎌倉・京都で禅要を説いた。また、北条時頼の帰依を受け、1255年は道家建立の東福寺に入寺開堂。
臨済宗相国寺派
京都府京都市上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町701 TEL.075-231-0301
天竜寺開山で夢窓派の祖、夢窓疎石を始祖とし、夢窓の法嗣、春屋妙葩を派祖として、京都万年山相国寺を本山とする。京都五山第二位に列せられ、夢窓派の名僧が多く住し栄えた。
【普明国師】春屋妙葩(しゅんおくみょうは・1311~1388)夢窓疎石の俗甥。17歳、夢窓を南禅寺に排し落髪受具する。1384年将軍義満は城北に万年山相国禅寺の大伽藍を建立。師を開山として請したが、普明国師はその師夢窓国師を勧請して始祖とした。
臨済宗建仁寺派
京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町584 TEL.075-561-0190
入宋して黄竜派虚庵懐敞の法を伝えた明庵栄西を派祖とし、京都東山建仁寺を本山とする。1383年足利義満による改定の時、京都五山第三位とされ、大いに盛えた。
【栄西禅師】栄西(えいさい・ようさい・1141~1215)は比叡山で台密を学び、28歳の時と47歳の時に中国の宋に渡るが、28歳の時に臨済宗の禅と戒律を受ける。帰朝後、禅の素晴らしさを説く。1202年将軍頼家の招きにより開山した。
臨済宗天龍寺派
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68 TEL.075-881-1235
無学祖元の法孫の夢想疎石を派祖とし、京都霊亀山天竜寺を本山とする臨済宗の一派。天竜寺は京五山の第一位に列せられている。
【夢窓国師】夢窓疎石(むそうそせき・1275~1351)は幼にして出家し天台・真言を学び、後に禅を修める。南禅寺・円覚寺などの住持を勤めたが、足利尊氏の請で天龍寺開山となる。
臨済宗向嶽寺派
山梨県甲州市塩山上於曽2026 TEL.0553-33-2090
法灯派弧峰覚明の法嗣、慧光大円禅師抜隊得勝を派祖とし、甲斐(山梨)塩山向嶽寺を本山とする。
【大円禅師】抜隊得勝(ばつすいとくしょう・1327~1389)は29歳で治福寺の応衡に従って出家。出雲(島根)雲樹寺の孤峰覚明の室に入り、その法を継いだ。相模に帰ったのち甲斐に庵居するに、この国の秀菴主は親しく参じ、塩山に向嶽寺を開創して師を迎えて一世とした。
臨済宗大徳寺派
京都府京都市北区紫野大徳寺町53 TEL.075-491-0019
大応派南浦紹明の法嗣、大灯国師宗峰妙超を派祖とし、京都紫野竜宝山大徳寺を本山とする。
【大燈国師】宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう・1282~1337)は11歳で書写山の戒信律師について出家し台学を修む。都人宗印、巨資を投じて堂宇を建立し、龍宝山大徳寺とし、師を請して開山とする。
臨済宗国泰寺派
富山県高岡市太田184 TEL.0766-44-0610
法灯派弧峰覚明の法嗣、慧日聖光国師慈雲妙意を派祖とし、越中(富山)高岡市摩頂山国泰寺を本山とする。
【妙意禅師】慈雲妙意(じうんみょうい・1274~1345)国泰寺開山。12歳で越後(新潟)五智山に落髪し、孤峰覚明の勧めで無本覚心に参じ、後、その命を受けて雲樹寺孤峰に法を継ぎ、越中(富山)国泰寺に住した。
黄檗宗
京都府宇治市五ヶ庄三番割34 TEL.0774-32-3900
開祖は中国からの渡来僧隠元隆琦。本山は京都宇治にある黄檗山万福寺。臨済宗の中に含まれているが、寺制・法規などが明風で、日本の臨済宗と異なったため、独立して一宗をなす。
【隠元禅師】【大光普照国師】隠元隆琦(いんげんりゅうき・1592~1673)日本における黄檗宗の開祖。中国福州(現在の福建省)の生まれ。1654年に請われて来日。1661年宇治に万福寺を創建した。