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仏壇と仏壇店情報
仏像百科
鎌倉時代 金剛峯寺 八大童子 2 不動明王の眷属・八大童子のうち、左から清浄比丘 恵喜童子 烏倶婆誐童子。 頼朝が不動堂のために荘園を与えるなど行勝上人と関係が深いことから、運慶の造像に至った可能性が伺える […]
鎌倉時代 金剛峯寺 八大童子 1 不動明王の眷属・八大童子のうち、左から恵光童子 制多迦童子 矜羯羅童子。 女人禁制の高野山において、女性の往生を願った鳥羽天皇の皇女・八条女院は、 高野山で修行する行勝上人に結願し、八大 […]
鎌倉時代 浄楽寺 毘沙門天・不動明王 鎌倉初期の御家人和田義盛が運慶に依頼、 運慶は義盛とその妻のために五尊(阿弥陀三尊・毘沙門・不動)を造像。 毘沙門は江戸時代の修復で極彩色に加飾されたため1959年まで […]
鎌倉時代 浄楽寺 阿弥陀三尊像 浄楽寺は1189年、仏教に強く帰依していた鎌倉初期の御家人和田義盛が建立。 奥州遠征の勝利祈願とも、願成就院を建立した北条時政に対抗したとも伝わる。運慶が造像。
鎌倉時代 願成就院 不動明王三尊像 煩悩にまみれた衆生を救うため憤怒の形相で導き、火焰光背で煩悩を焼き清める。 不動明王を補佐する矜羯羅童子(右)・制吒迦童子(左)。 北条時政の発願により運慶が造像。
鎌倉時代 願成就院 毘沙門天像 毘沙門天は仏法の守護神。四天王の北方を守る多聞天であるが、独尊として信仰されると 毘沙門天と呼ばれる。北条時政の発願により運慶が造像。
飛鳥時代 法隆寺 四天王像(多聞天) 現存する最古の四天王像。直立不動の姿勢は後世の像とは違い、止利仏師に共通する穏やか作風であるが、 立ち上がった襟は中国・朝鮮半島の武人像に見られるなど、絵画を手本とする可能性もある。
飛鳥時代 広隆寺 弥勒菩薩半跏思惟像(宝髻の弥勒・泣き弥勒) 広隆寺といえば、国宝「弥勒菩薩半跏思惟像(宝冠弥勒)」だが、 「弥勒菩薩半跏思惟像(宝髻の弥勒・泣き弥勒)」はもう1軀の国宝。 広隆寺を建立した秦河勝が亡くな […]
中国・唐時代 法隆寺 九面観音菩薩立像 仏教伝来とともにもたらされた請来仏。日本の仏像制作に大きな影響を与えた。 瓔珞など細部にわたり白檀の一材で作られた檀像。 頭上の八面と本面の計九面であるが、十一面観音の原型と考えら […]
飛鳥時代 当麻寺 四天王像・広目天 須弥山の四方を守護する四天王はのうち、広目天は西方を守護する。 インド神話の神々が仏教に帰依し守護神となった。 日本最古級の脱活乾漆像で、縮れたあご髭や容貌・衣文など百済から請来したと […]