専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第9回わが家のお仏壇物語
私は後妻としてこの家に嫁いできた。
主人は前妻とその母親を相次いで病気で亡くし、子2人、前妻の父親と同居していた。そこへ私が嫁いできたものだから、少々複雑な家庭ではあった。
私が嫁いでから数ヶ月、前妻の父親の認知症が発覚した。
認知症は急激に進行し、グループホームへ入居することとなった。毎週グループホームへ面会に訪れる度に、彼は「家に帰りたい」とこぼしていた。グループホームでの生活もほんの数ヶ月で、持病が悪化し、あっという間に亡くなってしまった。
「家に帰りたい」-こんな形で叶ってしまった彼の言葉。仏壇の前に安置された彼を目にし、後悔や申し訳ない気持ちが涙とともに溢れだした。
こんなことがありながらも、仏壇に手を合わせるときには、「我が家の仏壇に入っているのは私自身のご先祖様ではなく、あくまでも他人」私にはそう思っていた節がある。
そんな折、あるご住職の法話でこんなことを聴いた。
―合掌することにより仏様と私が一つになり、仏様の存在と安心を得られる。そして仏様に見守られていると思う事で、心が洗い清められ豊かになり、苦しいことも乗り越えることができる。そして仏様には男女や年齢といった概念がない。
私はこのとき自分の愚かさや器の小ささを痛感した。我が家の仏壇に入っているのは、前妻でもその両親でもなく、仏様なのだ。
次に我が家の仏壇に入るのは、恐らく歳の離れた主人だろう。子ども達も私と年齢が近いため、私が最後になることも考えられる。そうなったとき、この仏壇に手を合わせてくれる人はいるのだろうか…そう思う私の心は不安や欲ばかり。しかし法話を思い出し、仏壇に手を合わせ、私がこの家に嫁いできた“縁”をもたらしてくれたことに感謝することで、いつの日か心に平穏が訪れるのではないかと思っている。
仏壇とは、手を合わせ祈ることで、そんな“何か”に気づかせてくれる場所でもある。
未熟な私は、今日も仏壇に手を合わせる。