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江戸時代のお盆(3) 盆提灯 切子灯籠

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盆提灯と言えばまず思い浮かべるのは岐阜提灯であろうか、それとも大内行灯であろうか。幕末に編纂された『江戸府内絵本風俗往来』には盆提灯の記述が随分と出てくるが、いわゆる岐阜提灯そして切子灯籠が多く使われていたことがよく分かる。

 

 

 

「幕府御譜代の御老中若年寄を勤め給ふ家よりは奉書張なる いとも美事の切子灯籠を上野東叡山芝増上寺の両御廟宝前へ献ず 諸侯方は各々の菩提所霊前へ提灯或は切子の灯籠を奉ず 是又美事なる出来にして数も多し 麻上下着たる武士付添て中間(ちゅうげん)灯籠を竹につりてかき行く 上野又は増上寺へ納むるは大箱に入り中間四人づつにて かき行きて納む 其式いと厳重なり」

上野の東叡山寛永寺と芝の増上寺は徳川幕府の菩提寺であり、幕府の高官たちは奉書張りの立派な切子灯籠をこの両寺に献上するのだが、この切子灯籠は大箱に入り、中間と呼ばれる使用人四人によって運ばれ、それはまた格式のあるものであったという。

 

こうして見ると、切子灯籠が盆提灯の主流であったということがよく分かる。切子灯籠に関しては「年々七月朔日の夕より江戸市中毎戸盆提灯を店の軒下につる大店は 大瓜形の白張をともす大傳馬町の如き大店のつらなる処は 戸々白提灯なり 又切子灯籠をともす店もあり 今夜より八月五日或いは七日迄なり 此の中毎夜点して佛の供養とす 八月以後は無縁の佛に供すといふ」という描写があり、江戸市中では岐阜提灯と並んで切子灯籠が多く使われていたことが分かる。

吊された切子灯籠の下で盆踊りを踊る姿を描いた浮世絵も残されている。この浮世絵を見ると、盆踊りの櫓にも切子灯籠が吊されていただろうことが想像できる。つまり、切子灯籠は江戸市民にとってお盆そのものであったということだ。

高灯籠もまた江戸の名物であった。高灯籠とは提灯を竿の先につり下げるもので、「百人町の星灯籠」は特に有名であった。ここで言う百人町とは現在の東京都港区青山あたりのことで、高さを競いながら点される提灯の様がまるで星のようであったことから「星灯籠」と呼ばれるようになったという。『東都名所百景』では、道行く人々がこの灯籠を見上げている図が描かれている。おそらく、この灯籠をわざわざ見に来る人も多かったのではないだろうか。

 

 

 

一方『江戸府内絵本風俗往来』では高灯籠を「陰気」なものとしている。

「是は寺院不残にはあらざれども十中三四は行うなり 長き丸太を杭して立て 頂上へ杉の青葉を束ねて旗を垂れ 灯籠をつり上げる 盆中是を毎夜ともすなり 随分陰気なる物なりし」

『江戸府内絵本風俗往来』の作者は、高灯籠に何か個人的な暗い思い出があったのかもしれない。

 

 

 

 

 

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