専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第8回わが家のお仏壇物語
携帯電話に残る一枚の写真。
それは今からもう10年も前に、二階建ての家の遠景を撮影したものです。
そこに写るのは、灰色の屋根瓦だけを水面上に残し水没した我が家。
台風14号で水嵩を増した、町の中心部を流れる川。
この時、氾濫を阻止するために、この川に流れ込む支流の水門が閉鎖されます。
しかし、容赦ない豪雨は流れの行き場を失ったこの支流に化け物のような氾濫を引き起こし我が家を一気に飲み込みました。宮崎水害と呼ばれる災害でした。
水が引いた翌日、我が家を訪れた私と姉の目に映ったものは、言葉にならないほどの惨状でした。
床には膨大な泥が流れ込み、畳など見えません。
悪臭漂う汚泥の中に、箪笥も机も冷蔵庫も洗濯機もテレビも、何もかもが昨日までとは違う場所に流され
無残に横たわっていたのです。
避難先の姉宅に一人留まったまま、罹災した我が家を決して訪れようとしない母は、この家で茶道教室を開いて暮らしていました。見るも無残な茶室の壊滅。散乱する茶道具の数々。
その場から母に電話をすると、聞こえてきた一言は茶道具の話ではありませんでした。
「仏壇は無事?」
床の間の隣に構えられ、20年に亘って父を弔ってきた仏壇のことでした。
大人三人かかってやっと持ち上げられるほどの重厚な仏壇は、まるで放り投げられた大きな段ボール箱のように縁側の隅に倒れていました。
「位牌は?」
閉じられた仏壇の扉を開くと、中には位牌どころかロウソクも線香立ても何もありません。
私達は探しました。そして、茶室の水屋のそばに泥を被って転がっていた位牌を見つけました。
「お父さんは見つけて欲しかったんだね。」
そう云う母が、数日後まっさきにやったことは仏壇を洗うことでした。
汚泥を流し丁寧に磨き上げられ、仏壇は見事に復元します。
これが我が家復興の第一歩でした。
その母も3年前に他界し、今は姉宅に鎮座するあの仏壇と共に父と二人並び微笑んでいます。