専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第10回わが家のお仏壇物語
「ガハハハ!ほおら、聞こえるか、悔しかったら出ておいで!」
父がコンビニで倒れているのを発見されたのは、私の17歳の誕生日の前日だった。それから1週間、父は母の日にこの世を去った。
こう書くと、すごく悲しい物語みたいだが、うちの家族は少し違っていた。太陽のように明るい両親だったからこそ、私たちはどん底から這い上がることができた。
父は生前、とにかく面白いことが好きでサムいジョークと持ち前の明るさで私たちを笑顔で包んでくれていた。残念なことに、仕事のストレスとお酒好きがたたって50歳という若さでこの世を去った。父はアルコール依存症になってしまい、なくなる半年前に母は離婚を決意。もう限界だった母を私たち姉妹が、「お母さん、もう自由になっていいよ」と背中を押したのがきっかけだった。
それでも、献身的に母と姉は父の様子を見に行ったり、「離れたからこそできるサポート」をしてくれていた。倒れてから父が亡くなる日まで、私たち家族は1週間父を囲んで久しぶりの家族団欒をすることができた。もう、脳が病気に侵されている父には私たちがカボチャなのか人間なのかもわかっていないのも、私たちは知っていた。
父が亡くなっても、たとえ、離婚をしていたとしても、母はお仏壇を自分の家に置くことに迷いはないようだった。父が好きだった寅さんのキーホルダーを東京土産に仏壇に置いたり、命日には父の好物のシュークリームを置いたり。私が帰省したときはもちろん、大切な報告をするときは仏壇に向かって語りかける。
「お父さん、私、赤ちゃんができたよ。新しい命、つないでいるよ。」
父が亡くなって、私たち姉妹にはもう5人もの子供に恵まれた。そして毎日笑顔がたえず、ガハハと笑う。
「ほおら、聞こえる?こっちはこんなに楽しいよ!悔しかったら出ておいで!」こんな風に、私たちは今日も、仏壇に明るく話しかけるんだ。