専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
私には3歳で亡くなった弟がいる。私が5歳の時だった。それ以来、母に倣ってお仏壇に手を合わせたり近況報告をすることで、弟とのコミュニケーションが取れているような気がしていた。なぜかお仏壇の前に正座をして話しかけると心が落ち […]
「おはようございます」 ご先祖様とともにわが家の一日が始まる。「みんな元気に起きてきたな」と。毎朝、まずは一杯のお水を差し上げると、ご先祖様たちは「夏のお水は冷たくてうまいな。」とおっしゃる。 朝ごはんの米が炊き上がると […]
「学校連れていこうか」朝食のあとで祖父が言った。 「うーん」と気乗り薄の私。何で連れていこうとするんだろう。物心ついたころから、運動ができなかった。難しい漢字がいくつも並ぶ神経系の病気で、どこかの筋肉を激しく動かすと反比 […]
「えつこ〜、えつこ〜」 生前父は、母の姿が見えないと、いつもきまって縁側から母を呼びました。 一緒にお茶が飲みたくて、好物のきんつばを食べさせたくて、時には、用事がなくても呼んでいました。 やれやれまた呼んでるよ。家族は […]
仏壇はその家のメモリーボックスだ。 私が中学生の頃の話である。 家に昔からあった仏壇は老朽化がひどくなり、買いかえる事になった時の話だ。 それまでは、 「位牌の数が多くて仏様の姿が見えん」 という有様で、古 […]
14年前、57歳で逝った父は、無類の読書好きだった。脳裏に浮かぶ父はいつも書斎におり、机に何冊もの本を積み上げていた。何冊もの本を、同時進行で読むほどの多読家だったのだ。そんな父について、私が18歳の時、書き記した小文が […]
第3回母の日参り手紙コンクールには1353通の作品が寄せられ、16編の受賞作品が決定しました。ぜひ お線香の日本香堂では、「母の日参り」のキャンペーンを実施中です。
平安時代後期 即成院 阿弥陀如来と二十五菩薩 『往生要集』には信仰の深さにより、全ての人が往生できる可能性を説いている。 人々は極楽往生を念じ続けることにより極楽浄土より阿弥陀如来が迎えに来てくれると信じた。
平安時代後期 平等院鳳凰堂 雲中供養菩薩像 平等院鳳凰堂堂内部の長押上部の壁に52軀(後補含む)掛けられている(5軀の僧形と菩薩形)。 雲上で楽器を奏でたり、踊っていたりとさまざまな姿で阿弥陀如来を供養している。
平安時代後期 平等院鳳凰堂 阿弥陀如来像 定朝作。平安時代後期は日本独自の彫刻表現が確立された時代。貴族が好んだ典雅で優美は作風。 寄木造り・割矧ぎ造りという技法で、この技法により巨像の制作が容易になり、以降、仏像制作の […]