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第12回わが家のお仏壇物語

佳作「わが家のお仏壇ができるまで」大嶺さつき(沖縄県・32歳)

「学校連れていこうか」朝食のあとで祖父が言った。

「うーん」と気乗り薄の私。何で連れていこうとするんだろう。物心ついたころから、運動ができなかった。難しい漢字がいくつも並ぶ神経系の病気で、どこかの筋肉を激しく動かすと反比例して別の筋肉が力を失ってゆく。外で友達とはしゃいだあと、箸を持てないのはマシな方で、呼吸をしにくくなったり瞼が意思に反して下がったりする。隣に誰も居なく、命綱もなく暗い底に連れていかれる恐怖があった。

以来、心配する先生の言うとおり、学校には出ず家で教材をこなした。やがて勉強机に二、三時間向かっているのも苦しくなり、図書室に移った。先生は優しかった。先生への感謝は真実だった。けれど、日々は決まった色に見え始めた。

おそるおそるけいたい電話を開くと、親せきからの電話だった。

用件はすぐに理解した。祖父だ、私が想像したとおりそっくり同じ。どうして、と戸惑う時間はごく短かった。祖父が危とくなら、私にはやるべきことがあった。

−−間に合え。飛行機に乗って実家の石垣島までとんで帰る。久しぶりの感覚だろう。実家の空気は、夢のようだった。怒りを覚えた。ようやく着いた先は平屋の古びた家の前だった。屋内を覗ける位置には人がたかっていた。そのもっとも外周で私は爪先立ちになり、暗い室内をうかがった。一人の男が白いじゅばんで横立わっていた。

「間に合わなかった」

と、どこからか声がした。

私は呆然と立ちつくしていた。風は、ぬるく滞留していた。祖父は時間に取り残されたかのように微動だにしない。なのに私の耳元では、きいこきいことゆりかごのように、木の軋みが繰り返し鳴っていた。

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