専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第1回わが家のお仏壇物語
わが家は引揚者である。終戦後、外地から一家六人が一人当たり現金千円と、それぞれリュック一つ背負って郡山に引き揚げてきた。父は衣類などギッシリ詰めこんだリュックに、祖父の位牌と鉄製の重い仏像を持ってきた。
年月を経て祖母、父、母とこの世を去り昭和五十七年母が亡くなった時に、それまでの小さな仏壇を替えて近所の家具屋さんに新しく造ってもらった。特別高級なものではないが家具屋のご主人の手造りで、あたたかさが伝わってきて不思議と心が安らぐ仏壇である。妻の大病の時も、私の仕事がピンチの時も、運転中にあわや大事故という時も、先祖の霊に守られて乗り越えてきた。
このわが家の一人息子は姉、妹に挟まれていることもあって生来の楽天家で、何にでもギリギリでなければ仕上がらない。それでも高校、大学とその都度ご先祖様にお願いして何とか滑り込んできた。大学四年になった時どうしても大学院に行きたいというので、苦しい家計ながらもOKした。
いよいよ試験当日、朝早く仙台の息子から電話がかかってきて、受話器を仏壇の前に持って行ってくれという。「ん?」と聞くと「おばあちゃんに合格するようお願いするんだ」とのこと。なるほど、と受話器を仏壇のなかに掲げて一緒にお願いをしたものである。
今までのうちで一番厳しかったという大学院にかろうじて(たぶん)合格、無事修士課程を修了、エンジニアとして就職、その後結婚もして今では男児二人のパパとなり忙しい仕事をこなしている。
同じ市内に住んでいるので週に一度は遊びに来るが、孫たちは家に入ると親のしつけか、鐘を鳴らすのが面白いのか必ず仏壇の前でカーンカーンとやって頭を下げる。
この孫たちが受験に挑戦する頃、私たちはこの世で応援できるものか、はたまた仏壇の中で頼まれることになるのか、はて・・・。