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第5回わが家のお仏壇物語

佳作「ふたつのお仏壇」金森 文孝(静岡県・59歳)


 私が物心ついたとき、すでにお仏壇はあった。小机の上に飾られた、幅五十センチ、高さ七十センチほどの黒塗りで扉の裏に金箔が貼られたこじんまりしたもので、私が生まれる二ヶ月前に亡くなった兄の供養のためのものだった。父は七人兄弟の末っ子、身体を壊し百姓ができなくなり、町にいる兄を頼って故郷を出た。裸一貫、月・月・火・水・木・金・金で母と共に頑張り、やっと小さな店を持てた六十年前の春の日、当時では珍しい交通事故で四歳の次男を亡くした。

 父は、大きな借金と追いかけっこの中、身の丈を越えた精一杯のお仏壇をお祭りした。  店は軌道に乗り、蛇が脱皮を繰り返すように大きくなると、父は放蕩生活に入った。父には私の想像をはるかに超える心の闇と葛藤がのし掛かっていたに違いない。

 朝は釣り、昼寝のあとは深夜まで麻雀三昧、そんな荒んだ生活の中でも母の献身に支えながら、父は毎日「南無阿弥陀仏」というお念仏だけは忘れなかった。きっと父は心の中で、いつも仏様と母に手を合わせていたのだろう。父方の祖父はお念仏が道楽、野良仕事や食事の前、家族全員でお経をあげるのが日課、貧しくても仏壇だけは立派だったという。父の兄ふたりも商売で成功し、立派なお仏壇をお祭りしていた。

 四人の子供が大学を出て自立すると、父はあっさり店を売り払い、妻との隠居所を建てた。そして、鉄筋三階の最上階に親、兄弟に負けない立派なお仏壇を金沢まで行って誂え、仏間を作り、父と息子の法要を催した。

 晩年の父の口癖は「一日喜び」人生は一本の線ではなく一日という点の連続、今日という日を大切にと、お仏壇に向かう日々、二十五間年恋女房に尽くし、息子の五十回忌を済ませ、「三途の川 釣果いかがと 春の水」といった風情で彼岸に旅だった。古いお仏壇は、長年父の店を支えてくれた、母の弟が大切にお祭りしてくれている。

仏壇公正取引協議会
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