専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第11回わが家のお仏壇物語
あんな小さな箱の中に閉じ込められるのは嫌だわ、と言っていた母が、73才の誕生日を迎えた日、唐突に仏壇を購入したのです。
我が家には代々仏壇はありませんでした。東京だから、ということもないと思うのですが、どこかの代で仏壇を必要としない事情があったのでしょうか、あるいはそういう家系だったのか、折々にお墓参りには出かけても、仏壇で線香を上げる習慣はなかったのです。
母が購入した仏壇は大きなものではありませんが、そこには先祖代々の位牌やお釈迦様の像が祀られ、扉には障子戸が施された美しいものでした。ところが母は、結核で早逝した父や祖父祖母の写真を祀ることもなく、扉を閉めたまま箪笥の上に放置したのです。仏壇なんて死を早めるだけのような気がして心持ちが悪いわ、と嘆いていた家を継いだ姉は胸を撫で下ろしていましたが、それでも廉価なものではありません。衝動買いするような母ではなく、放置するくらいならなぜ仏壇を買ったのか、聞いても母は、笑うだけで、ずっと謎のままでした。
それから一年後、母の通夜の席で、仏壇のことが話題になり、どうするか、と兄が困ったように言うと、姉がやってきて私に預けることになっていると言うのです。私は和室のないマンションに住んでいましたので、インテリアとして、それは浮き上がってしまい調和が崩れます。そう言って断ると、兄も実家に置く以外に最適な方法はない、と応援してくれたのですが、姉は、そうしてもいいんだけど、と私に笑いかけ、母の遺言だと言うのです。女手一つで育ててくれた母の遺言を無碍にはできません。私は妻には内緒にして持ち帰り、押し入れに仕舞い込んだのです。
暮れが迫って妻が大掃除をしているときでした。書斎で仕事をしていた私に妻は仏壇を抱えて入ってきたのです。妻に相談しなかったのはどこか遠慮があったのでしょう。ところが妻は事情を聞くと、顔を手で抑えて泣き出したのです。情けない人、親や先祖を大切にしない人なんて尊敬できない、何様のつもりなの、と睨むように言ったのです。私が謝ると、妻は寝室に行き、アンティーク家具の引き出しの上を片付けながら、私にお線香を買ってくるよう言いつけ、私が買って戻ると、妻は白い封筒を私に見せ、お仏壇を拭いていたら引き出しに入っていたの。お母さんからあなた宛てよ、と言って頷いたのです。
「毎日手を合わせて下さいね。お母さんのためではないの。あなたの為よ」
それだけの短い手紙でした。母が何を言おうとしているのか、ともかく私はその日から仏壇に向かいました。女房も一緒に祈りを捧げました。三日も経った頃でしょうか。魂が洗われるといいますか、心が静まっていくのです。私は口が達者で小さな頃から信じるものなんか無い、とやんちゃなことを言っていたのです。あなたのためよ、その言葉が私の魂の深いところに突き刺さりました。私は涙を流していました。この小さな箱に母や先祖の魂がいるとかいないとか、そんなことは些細なことで、ただ感謝を伝えたい、そういう気持ちだけが働いていたのです。母は私のためだけに仏壇を用意してくれたのです。涙が止まらなくなって私は声を上げていました。女房が立ち上がって私の後ろに回り、私の肩を覆うようにして抱きしめ、お母さん、ありがとう、と仏壇に目をやりました。
私たち夫婦は田舎に越して、庭が一望できるところに和室を作って、そこを仏壇の住まいとしました。仏壇には新たに涅槃釈迦像が祀られています。上等なものではありませんが女房とインドへ旅行した際、惹かれるように購入したのです。これから何世代もの間、母の最後の贈り物である仏壇は、私たちの子供から子孫へと受け継がれていくことでしょう。涅槃釈迦像とともに。