仏壇選びの達人

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第2回わが家のお仏壇物語

佳作「わが家の仏壇は大家族」亀野いづみ(兵庫県・女性・28歳)


 私が幼い頃父が亡くなり、母と私は母の実家で暮らしています。
 実家には母の妹達、つまり叔母が二人。それに大阪で働いていたけれど病気になり、実家へ帰ってきた叔父が一人、合計五人家族です。
兄妹は、気心がわかって理解し合えるのは、他人以上なのですが、一度(ひとたび)問題が起きると、お互い遠慮のない意見を言い合うものですから時には、お互い譲らず、大喧嘩になることもしばしばです。そんな時、私は間に入ってオロオロとし、取りなすのに一苦労です。
 家には、私が物心ついたときから紫檀の立派な仏壇があります。祖父母が亡くなった時、母の兄妹がお金を出し合って買い求めたのだそうです。あまりキンキラと派手ではないけれど、背景の阿弥陀様のお顔が優し気で、その上、華やいだ雰囲気をかもし出しているので眺めていると明るい気持ちになるのです。そして紫檀の持つ柔かい色合いは、仏壇の前に座ると私を心安らかにしてくれます。幼い頃から私は、このお仏壇が大好きでした。少し変則の家族構成ですが、父の居ない私を叔父や叔母はこよなく愛してくれました。
 運動会の日は、母の作った重箱のごちそうを五人で囲んで幸せな時を過しました。文化祭にも必ず五人共来てくれ、晴れがましく指揮者をする私を暖かく見守ってくれました。特に叔父は私を溺愛してくれ、何時か愛用の自転車を盗られた時など、夜の張りが降りる頃まで街中を探し廻って見付けてきてくれたものです。そんな幸せな少女時代を過していたある冬の日、事件が起こったのです。叔父がギャンブルに手を出し、母や叔母達に大きな迷惑をかけたのです。案の定叔母達は大憤慨です。叔父をこっぴどく罵倒し、もう叔父の存在すら否定するような酷い言葉を吐きました。その時の叔父の悲しい目を私は一生忘れることが出来ません。病気の為結婚もせず、自分の子供も持たず、淋しい人生を送っていたであろう叔父が私には可哀そうでなりませんでした。
 それは平成十三年一月十六日のこと。正に阪神淡路大震災の前日の出来事でした。
明けて十七日の未明、床を並べて寝ていた私達の畳の床が突然轟音と共に持ち上げられるような衝撃がありました。隣に寝ていた母が「地震や!!」と言って飛び起きました。
 ドンドンと二度程持ち上げられるような衝撃の後、今度はユサユサと横ゆれが来ました。あちこちで叫び声と物が壊れる音がしました。私は怖くて、ふとんを頭からかぶりガタガタ震えていました。
 そのとき隣の仏間で寝ていた二人の叔母の叫び声と、ドスンと物が落ちたような音がしました。何か大変な事が起ったような予感がして現実を見る勇気がなく、ふとんのすき間からソッと叔母の部屋を覗いてみました。叔母達も起き上ったようです。「大丈夫!?」「うん怪我はないよ」お互いに胸をなでおろしました。
朝の薄明りで部屋を見わたすとどうでしょう、叔母達の布団の上には、仏壇の中にあった物ありとあらゆる物が、散乱しているではありませんか。鉄の花びん、ローソク立て、鉄の線香立て、遺影の写真立て、それに、まるで雪が降ったように布団の上には灰が一面に。一人の叔母のすぐ横にはテレビがゴロンと転がっています。
 ところで、最も危険をはらんでいた仏壇そのものは、と見上げてみると、一段高く地袋の上に座った仏壇はしっかりと元の位置に居るではありませんか。不思議に思ってよく見ると上部の鴨居から一センチ程何かが出っ張って、それにつっかえて、前に倒れるのを邪魔していたのです。誰かが何かをひっかけようと思い木片を打ちつけていたようです。危機一髪で命拾いをしたのです。
 その時、早朝犬のサンポに出ていた叔父が息せき切って帰ってきました。「皆な大丈夫か?」家族全員無事だった様です。私は胸をなで下ろしました。そして仏壇に向かってソッと言いました「おじいちゃん、おばあちゃんありがとう!」と。
 あれからもう十五年が経ちました。叔父も亡くなり今は女ばかり四人で仲良く暮らしています。

祈りをかたちに 全日本宗教用具共同組合
仏壇公正取引協議会
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