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第12回わが家のお仏壇物語

メイクリーン賞  「お仏壇に祈る時」 高澤寛(長野県・62歳)

停年退職で実家に戻った私を待ち受けていたのは、毎朝仏壇に水を上げるお勤めだった。アパート暮らしが長く続き、仏壇などとんと縁がなかったため、はじめはこれが妙に新鮮に感じられたものである。
ところが、次第に仏壇に手を合わせるだけでは物足りなくなり、私は願い事をするようになった。『家内安全』や『家族の健康』といった殊勝なものから、気がつけば『宝くじの当選』などという罰当たりなものまで願うようになっていた。そんなことを妻に話すと、願うのではなくて感謝するものだと諭され、なるほどそんなものかと、さっそく『長男の結納』『長女と次男の就職』と次々に感謝しはじめた。ところがこれが毎日のことなので、一週間もするとネタが尽きてしまい、いつの間にか『健康診断の数値改善』など、至って低俗なものに手を染めることになった。これではいけないと反省して、それからは父母、妻、子どもたちの順で名前を呼び、最後に、
「皆を見守ってください。」と結ぶようにした。
最近、長男が結婚した。いつものように仏壇で名前を呼んでいて、ふと長男の嫁の名前がないことに気づいた。さっそく長男の次に加えてみたが、これが中々難しい。ずっと同じ順番できたところに新たな名前が加わったことで、言葉が詰まってしまうのだ。用心しながらやっと嫁の名前までたどり着いてホッとすると、今度は長女の名前が出てこない。こんなことが繰り返される毎日なのである。
そんな訳だから、この言い間違いが苦になっているのかというと、不思議にそうでもないのだ。それどころか、つかえながらも新たに家族に加わった嫁の名前を口にするのが、どこかくすぐったくて嬉しいのである。
今日は、珍しく間違えずに家族の名前を言い終えることができた。合わせていた手を膝に置いて仏壇に目をやり、還暦過ぎの初老の男は妙にニヤニヤしているのである。

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