専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第12回わが家のお仏壇物語
仏壇のある暮らしを私はその家で学んだ。
私にとって夏休みといえば片道6時間の母の生家への帰省で、祖父母の家はひたすら楽しいだけの場所だった。
スイカ。風鈴。素麺をすすり柱に身長を刻む。線香花火。茄子や胡瓜は馬になる。
そこに仏壇。
到着直後、朝夕餉の前、出立する直前。
線香を点け、鈴を鳴らし、手を合わせる。
その所作を思い出すにつけ少年の夏の高揚感がする。
ゲームをセーブでもするような感覚だったのだろう。夏休みのチェックポイント。
この装置は楽しい非日常の入口であり、それ以上に意味はなかった。
現在、単身移住した私はその家から車で15分とかからない場所に住んでいる。祖父からは酒と、祖母からは夕飯とともに子供の時分には訊き得なかった過去を聞いた。飾りに過ぎなかった遺影は言霊により血肉を得て故人になり、先祖になっていった。
やがて祖父が認知症になり仏壇は荒れた。香炉の灰が散乱し、蝋燭はLEDになり、供え物を置かなくなり仏具すら減らした。
祖父が施設に移った後で仏具を揃え直した。
道具に大きさの種類があることすら知らず、購入した品をいざ並べると全く大きさが合わない。あれほど見てきたというのに。否、見てはこなかったか。大きさを再認識した。
私の非日常への装置は、時間なりの劣化と質量を伴った日常の仏壇になった。
線香を点け、鈴を鳴らし、手を合わせる。
いつか祖父が逝き、祖母が逝けばここにその名が連なる。
独居の祖母の場合、まず家からして処遇を考えるから而してこの仏壇という存在自体が消滅するのではなかろうか。
そのとき私が彼らを偲んで手を合わせる場所は、どこに?
今、それを考えるのはよそう。
今私が考えるべきは子供たちに線香の点け方を見せ、鈴の鳴らし方を教え、手を合わせてもらうと嬉しい人がいるのだと伝えることであろう。そう思う。
「ありがとね」
祖母は私たちが手を合わせる度そう言う。ああ、ようやくその意味に触れた気がする。