専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第15回わが家のお仏壇物語
私は、四歳のときに父を亡くしました。母は、埃の舞う縄を作る工場で、なりふり構わず働きました。小学生の私は、給料日の夕暮れ、一人で迎えに行きました。給料といっても、封筒に入ったものではなく、紙幣と硬貨を直接手渡してもらっていました。紙幣は、すぐに折りたたんで、汚れた前掛のポケットに入れ、落ちないように片手で大事に押えながら、急ぎ足で並んで帰りました。
家に帰ると、すぐに仏壇へ供えて、手を合わせている背中をいつも見ていました。
私が高校を卒業して働き出し、成人を迎えるころになると、古く傷んだ家の建て替えも将来的に考える必要が出てきました。
でも、そのとき母が「自分たちが住む家より、仏さんが、おられるところを先に新しくしてあげらんと、いけんね」という思いを口にしました。
数カ月くらい経ったころ、仏壇店企画の大博覧会があり、母と二人で出かけました。店の人から、浄土真宗の家ということで、金仏壇を薦められました。でも、母が「うちの古い家には似合わんわ。この方がいいわ」と紫檀材質の商品が気に入りました。
しかし、母も十一年前に亡くなりました。仏壇の中には、しゃもじが一つ供えてあります。表には“健康”、裏の無地のところには「隆ちゃん(孫)が六年生のとき、修学旅行で買って来てごした。ありがとうね」とそのままの気持ちがマジックで書いてあります。
今では、親となった息子も、男の子を連れて来たときに、いつも最初に仏壇の前に並んで、手を合わせている背中があります。
生前、母が、よく口にしていたことで、「亡くなった人は、線香の香りが一番うれしいらしいよ」という言葉が、今でも頭の中にしっかりと残っています。