仏壇選びの達人

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第15回わが家のお仏壇物語

佳作「お仏壇の旅」 並木陽子(静岡県・56歳)

子供のころお仏壇は祖父母の家にありました。静岡には珍しく高さが一間ほどもある中が金色のお仏壇。

祖父の家は,もともと新潟の豪雪地帯の商家でした。大正時代の様子を映画用のコマーシャルフィルムが伝えています。大きな構えの呉服店。店頭に店の主人・家族をはじめ奉公さんがせいぞろい。呉服だけでなく,別館では石鹸などの日用品も扱っていることが紹介されます。最後には、祖父が電話をかけている様子も映っています。当時は商売が繁盛。町で最初に自転車に乗ったのは祖父の長女だったと伝え聞きます。フィルムには映っていませんが,お仏壇はそのころには座敷の奥で家族の暮らしを見守っていたのでしょう。

しかし,好景気も長くは続かず,昭和の初め日本恐慌でお店が潰れました。露頭に迷った一家は幼子をかかえ静岡の親戚を頼って夜逃げしました。そして静岡では小さな呉服屋を営みました。ふるさとを遠く離れ,戦争を経て苦しい生活,子育て。晩年祖母は大切そうに仏具を磨き,話しました。「いろいろなものを失ったけれど,お仏壇だけは新潟から静岡に運んできたんだよ。亅「あんたがたにも,そのうちお仏壇の手入れのしかたを教えなくちゃいけないね。」「静岡は暖かいねえ。雪も降らないし,暖房はいらないよ。こうして日向ぼっこをしてればじゅうぶんだよ。」

祖母が百四歳の天寿を全うするまで,お仏壇は祖母とともにいました。

今,お仏壇は祖母の長男の家,つまり私の実家にあります。

母は,「お仏壇は明治,もしかしたら江戸時代のものかもしれないよ」と言います。その真偽は定かではありませんが,とても古いものであるし,一族が大変なときも幸せなときもずっと見守ってくれていたことは確かです。新潟から静岡,明治・大正から令和へと遠く長い旅となったお仏壇,これからどうなるのでしょう。

すると,弟が言いました。「新築した家にお仏壇置き場をつくってあるよ!」

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