専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第15回わが家のお仏壇物語
父の実家に、立派なお仏壇がある。和室の隅で静かに佇む姿には不思議な雰囲気があり、前を通る時には自然と姿勢が低くなる。騒がしいお茶の間から和室に入る時には、「お邪魔します」「隣でうるさくしてすみません」とでも言いたくなる。
こんな私だが、15年前は、お仏壇の前でブーブークッションを披露するほどの不行儀な5歳児だった。当時の私にとってのお仏壇は、「へんなもの」「おもしろいもの」だった。
キラキラしていて、奥にはお人形が立っている。手前には、毎朝変わるお花や変な音の鳴る楽器。お人形サイズの小さな御膳。夏休みに行くと、果物やお菓子がよりどりみどり並べてあるけれど、夏休みの終わりまでは食べてはいけないらしい。待ちきれず、ブドウを1粒ずつこっそり食べていた。
ある時、ふと御膳の上のお茶碗が右手の奥にあることに気が付いて、
「ご飯は左でしょう。」
と言って左手前に動かした。
すると祖母は、
「これはあゆい(私)のご飯じゃないんだよ。中にいらっしゃる仏様の。」
と言って、お茶碗を元の位置に戻した。
その時はじめて、そこにある御膳も果物もお菓子も全て、私ではない他の誰かのものなのだと気が付いた。「仏様」が誰だかよくわからなかったけれど、お仏壇に向かって「ブドウを食べてごめんなさい。」と言って、台所の桃を持ってきて置いた。
そんな私も、先日20歳になった。未だに「仏様」がわかるわけではないけれど、お仏壇の前に座ると、誰かと対話しているような、一方的ではない不思議な気持ちになる。「成長したね」と優しく声をかけていただいている気がして、少し恥ずかしいような気持ちになる。
20年もの間、優しく私を見守ってくださった仏様。
「いつもありがとうございます」
「あの時は大変失礼致しました。」
そんな気持ちで、夏休みにはいつもお菓子を持っていく。