専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第13回わが家のお仏壇物語
平成から令和に代わった年末、駆け込む様にあちらの世界へ早逝した息子。人一倍繊細で優しい彼の仏壇は、生花と共に明る目の色彩で色どられている。
私の和服のリメイクが仏壇周りに。仏壇下には、緑系の着物の布。骨壺や遺髪を包むオレンジの花模様の布。左脇の細長い台には帯をそのまま置き、少し垂らして重みのある風情を。遺影の下の刺繍を施した黄色いクロスと、手前の大きな花模様の座布団カバー。
亡き母が昔、私の嫁入り道具に作った和服は、日の目を見なかった。今その布地が、こよなく愛でた初孫を包んでいるのを、母は喜んでいるに違いないと思う。
「十二月にこれ以上母さんにとって辛い日が増えるのを、かわいそうに思い、ばあちゃんと同じ日を選んだと思う。」と娘は言う。母が逝った僅か二年後の十二月十五日の殆ど同時刻に、息子は母のお迎えを得て、病のため潔くこちらの世界から手を引いた。
帯の上に毛糸でできた柴犬が居る。娘のベビー用に作ったものを、息子が気に入りペットにした。三十代の男の反応としては意外だったが、気持ちは痛い程わかった。本物の犬を飼いたかったのだ。しかし、闘病中の自らの立場を考え諦めていたのだろう。たまにその柴犬を食卓にタバコと一緒に持って来て、穏やかな表情をしていたのが、今となれば切ない思い出である。
朝昼は食事を供え、夕食は一緒に食卓で。私が世間話や新情報で盛り上げる。声は聞こえなくても、返答が想像できる時は嬉しい。
「おかずは少なめで。作るのしんどいやろうし。俺はご飯があれはいい。」と何度も言われたのに、つい作り過ぎ叱られた日々があった。
波乱万丈の人生で「普通がいい」と普通に憧れつつ、これからという時の他界。普通の環境に置いてやれなかった自責の念を基に、共に生き彼の願いに一歩でも近づく努力を続けること。それが私の息子への償いである。