専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第13回わが家のお仏壇物語
お仏壇じまいするかどうか。今年の親族会議の議題は、そのことでした。私の実家は、今、空き家です。年老いた父母が長く暮らした田舎の古い家ですが、数年前に両親は逝きました。私は姉弟の二人きょうだいで、私は他家に嫁いでおり、弟一家も街へ出ています。弟は、「残念だけど、家を畳み、お仏壇をしまう」と言いました。その時、私はとっさに、「待って、死者にも人権はあるわ」と声をあげたのです。それは、生前の父の言葉がにわかに蘇ったからでした。「お盆は、年に一回、生者も死者も、皆家に帰って来る。だからお盆は留守にしてはいけないよ」父は自分の孫たちにもそう言い聞かせていたので、子どもらもお盆は自然とお仏壇を囲んで団らんする習慣が身に付きました。お仏壇を前にして、生者も死者も皆がにぎやかに集うこと。それこそが供養なのです。父は、子どもたちがやって来ると、「ご先祖さんも喜んでいるよ」と、嬉しそうでした。
けれど、もしお仏壇がなくなったらどうでしょう。お仏壇は、いわば家族の心の拠り所です。無くなれば、きっと親族が一堂に会する機会も減るでしょう。「私が時々実家に戻って、お仏壇のお守りをするから、このままにしておこう」私はそう提案しました。今こそ、亡き父の声なき声に耳を澄ませる時です。
菊、トマト、胡瓜…父はお盆に、畑の作物をたくさん供えていました。父ほどは上手な出来栄えではないけど、今は私がそれをする番。父はお仏壇の中からそれを見て、「お前、まだまだだなぁ」と笑っているでしょうか。また、写真手前の紫の花は「ミソハギ(禊萩)」といい、けがれを清めてくれる花として、お盆に供えすることが、わが家の風習。私が忘れかけていても、禊萩は夏が来ると、思い出したように可憐な花を咲かせてくれます。
今、お仏壇じまいという言葉を耳にしますが、大変淋しいことではないでしょうか。私は、一家を結び付けてくれるお仏壇を大切に守りたいです。