仏壇選びの達人

専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報

第3回わが家のお仏壇物語

佳作「いなくなって見えるもの」島﨑 奈穂(愛知県・36歳)


「うちの父は婿養子である。二年前、祖父が亡くなって初めて、我が家に仏壇がやって来た。葬儀その他、今後を任されていた父は、知り合いの材木屋に教えてもらった、うちには不釣合いともいえる高価な特注の仏壇を選んだ。約一年近く待って、職人さんの手で床の間に仏壇が設置された。以来、父は毎日仏壇の前に座っている。ただ座っているだけでなく、父は毎晩お経を唱え、掃除をし、炊き立てのご飯を供えている。  
 祖父は「まぁ、辞めとけ」が口癖だった。  
 しゃかりきな祖母とはある意味対照的で、まだ周りに店のない頃から、本屋兼文房具屋を開店したのは、ほぼ祖母のバイタリティである。とはいえ、夫婦はバランス。祖父の人当りのよさが、晩年は細々とだったが、店を続けることができた要因だと思う。生前は、心配性の祖父を疎ましく思ったこともある。
 だが、いなくなって見えてくるものがあるということを、残された私たちは祖父に教えてもらった気がする。
 入院中、祖父には付き添いが必要だった。
 不安になったり、家に帰りたい気持ちが募ると、大声をだしてしまうからだ。祖父には母を含めて三人の娘がいた。母たちが代わる代わる、病室のソファで泊まりこんだ。その献身ぶりは、病院を後にする時、担当の先生が涙を流されるほどだった。今でも、益々かしましい三姉妹である。八十七歳の祖母は「おじいちゃんに怒られる」と、張り切って店を開いている。
 孫の私は、祖父の部屋に飾れている外国の人形や工芸品を眺めては、そして祖父自身が書いた絵や戦争の記録を見て、あぁ、やってること似てるなぁ、と思い当たるところばかりである。父は今晩も、義理からでなく、楽しんでお経を読むことだろう。  お経を唱えると、体の調子が良いと言う。  祖父の采配は完璧だ。私はそう思っている。
 祖父の三回目の命日は、もうすぐだ。

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