専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第3回わが家のお仏壇物語
私は幼少の頃から仏壇を「なまなまさん」と呼んでいた。たぶん「南無」から派生した言葉だと思う。父母から「仏壇は爺さん婆さんやそれ以前の祖先を供養し拝むものだ」と教えられてきたからである。子供のころ学校から帰ると仏壇の前に行き、お供え物があると「なまなまさん戴きます」と菓子や果物を手に取ったものです。仏壇は家族や祖先との絆であった。
京都の老舗仏壇店の随筆冊子に選者が「仏壇は先祖を祭るものでは無い。仏壇は信仰する仏を仏教徒が帰依し拝礼する祭壇である。仏壇は寺の須弥壇に仏陀像を安置して拝むための祭壇と同種である。」と選評していた。本来は正論かも知れない。 私の家の宗派は日蓮宗であるが、私は日蓮上人の信仰者と言えない。空海や最澄を始め法然や親鸞など宗派創立者の信者はいる。しかし、信仰する仏教家に帰依する目的で仏壇を設置する信者は幾人いるであろうか。
私が転勤族で、転居の度に荷造りの仏壇は破損し傷が目についた。父は五十万円の仏壇を半額販売する広告を見て 「新しい仏壇を購入する。金は俺が出す。」 と言い出した。父は卒寿を目前に自分の余命を推測してか。死後、自分が選んだ仏壇に祀って欲しい熱望を持っていた気がする。 「立派だ。恥ずかしくない仏壇だ。」 父は自分が選んだ仏壇を満足顔で眺めた。
私は見たことの無い祖父母や先祖を過去帳で想像し、私が少年時代に経験した夭折の2人の弟の葬儀を回想したり、先祖や叔父伯母など肉親への思い出と供養する気持ちが常に頭にある。毎年に一度、父母のそれぞれの祥月命日に、子供や孫たちが集まり供養し、家族が結合する役目を果たすのも仏壇である。 仏壇は先祖の霊を供養し回向するもの、その慣例を尊ぶものと信じている。さらに、仏壇は家族と祖先を結ぶ絆なのである。