専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第4回わが家のお仏壇物語
父の仕事は仏壇職人である。
私が子供の頃は、毎日父の傍らで、おがくずやら木材の切れっ端を使って、父の真似をしながら遊んでいたのを覚えている。桜や紫檀の木材を切り分け、成形、磨き、漆を塗り、また磨き、もう一度漆を塗り、また磨き、艶を出してゆく。それから部材を組み立てて、一台の仏壇になる。 近頃は、人工の板に木目プリントを貼り付けた、一目は見栄えのする安価な仏壇で間に合わせたり、そもそも仏壇自体がない家も多くなったので、我家のような小さな仏壇店で、本物の仏壇を買うようなお客さんは、ほとんどいなくなってしまった。
父の最近の仕事は、もっぱら古い仏壇の修復だ。 修復のために引き取ってきた仏壇の中で、ああ、これは昔父が作った物だと、すぐ分かることがある。もちろん、父の名前が書いてあるわけではない。それでも、面の手触りや、角の丸みの付け具合、重厚でいて繊細な構えには、まるで名前が彫ってでもあるかのようだ。分解すれば、もっとはっきり分かる。もともと後の修復の事を考えた造りで、外からは見えない部分まで手を抜かない真面目さなので、歪みも狂いもほとんど出ていない。
「何代も受け継いでいくものやら、長いこと保つように造らなあかん」と、気に入らなければどの段階からでもやり直す、父の職人としての、生一本な姿勢が見える。 日焼けして、漆の色も落ち、蝋燭跡や線香の香りの染みついた仏壇の、一寸疲労気味だけれど、何となくやさしい佇まいを見る度に、誰にとはなく、胸を張って自慢したくなる。
どこかの協会に認められるような、匠としての名なんてない。父の代限り、後を継ぐ者もいない小さな工房で、あと何台仏壇が作られるかは分からない。けれど、これまでに作った沢山の仏壇が、どこかのお寺や家庭にある限り、父の仕事はそこに残るだろう。