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第4回わが家のお仏壇物語

佳作「二〇一一年夏、祖父の思い出」向田真智子(愛知県・40歳)


二〇一一年八月九日。私は家族で営む食料品店の店番をしながら、高校野球の秋田代表能代商業を応援していた。そして試合終了。「秋田代表校の勝利は実に十四年ぶり!」との音声が響く。途端に私は店番をすっぽかし、裏の自宅の二階の仏間へ。  「じいちゃん!秋田の高校が勝ったよ!」  心の底から自分でも喜びながら、お仏壇にグラスを置き、ビールを注ぐ。  私は仏壇の上の、穏やかな顔の祖父の遺影を見上げた。
 祖父は秋田の生まれだ。けれど誕生前に父親は死亡、母親も再婚して、祖父は尋常小学校を出て、すぐに奉公に出された、故郷とは縁の薄い人だった。  名古屋で祖父は家族を得て、息子である私の父が店を手伝うようになり、店舗と住居部分を大改築した時、我が家にお仏壇が来た。  その頃の祖父は大酒呑みだったそうだ。そして本当に酒が原因で、癌で胃を全摘出することになる。  大手術のため体力が衰え、隠居暮らしのようになった祖父は、初孫の私をとてもかわいがってくれて、そして生まれ故郷の秋田を本当に恋しく思っていて。  子供の頃の私と「秋田新幹線ができたら一緒に秋田に行こう。帰りに東京見物もして、上野でパンダも見ような」と、約束していたくらいだ。  けれど癌こそ再発しなかったが、その後も祖父は別の病気で入退院を繰り返し、私は二十六歳で祖父の最後を看取った。
 二〇一一年八月十四日。秋田代表能代商業は、2−0で二回戦にも勝利した。  お盆の精霊棚に、今度は祖父の好きだった日本酒を供え、私は合掌した。お盆でこっちへ帰ってきているはずの祖父も、きっと喜んでくれただろう。

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