専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第4回わが家のお仏壇物語
想えば私は、幼少期の頃から「親孝行」の見本のような、子供だった。
家は貧乏だったが、私は、父の手垢だらけの、大袈裟な愛情の中で、育った。 父は、私が12才の時、ガンで呆気なく、逝ってしまった。お葬式が終わり、父の写真とお位牌は、貧相なタンスの上にまつられ、引き出しの、開け閉めと同時に、いつも揺れていた。母が、手を合わせていても、幼い私には、タンスに向かって、拝んでいるようにしか、思えなかった。『仏壇』はお金持ちしか、買えないのだと、諦めていた。
そして、私が高校生になった夏休み。村を一ヶ月離れ、市内の親戚の家に泊まりこみ、アルバイトをした。お小遣が、ほしかった。 親戚の家の近くで、小さな仏壇店を、偶然見つけた。立派な仏壇が、並んでいた。 ふと、見ると、小さな仏壇が、飾ってあるのを、見つけた。勇気を出して、店の中に入りその仏壇の値段を、聞いた。私のバイト代で、買える金額だった。「父ちゃんの仏壇が買える!」嬉しくて、胸が一杯になった。そして、働いて、バイト代を貰ったその足で、まっ先に、買いに走った。嬉しくて、すぐに母に、電話をかけた。 「母ちゃん、暫くしたら、仏壇が届くから。小さいけどね、私からの、贈り物~!」母は、驚いた様子でもなく、受話器の向こうの声は、小さかった。 「すまんな…仏壇買うたんか…」
それから、24年後。病弱だった母も、父の側に逝ってしまった。 孝行娘は、またまた、甲斐性もないのに、頑張った。両親に、大きめの仏壇を、購入した。 私の心が癒えかけた五年後の冬。夫が、持病が悪化して、旅立った。新しい物好きだった夫には、洋風仏壇を購入した。
私は三人の、仏様と暮らしている。 私にとってのお仏壇は、私の愛のカタチなのだ。鈴を鳴らし、仏様と「心に正座」をして、向かい合って話せる、唯一の場所なのだ。《絆と魂》に抱かれ、想い出を啄みながら、私は《今》を生きている。