専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第16回わが家のお仏壇物語
「俺の仏壇を買おうかと思ってる。」
80歳を超えた父が、ある日ポツリと母に言ったという。母は、
「何ばかなこと言ってるの!娘たちに世話させるつもり?迷惑だわ。」
普段は母にきつく言われると何も言えない父が、
「いいだろう、少々余ったお金をなにに使おうと。」
と、珍しく反論したという。
妹も母と同じで、そんなもの父の死後に残されても迷惑だという旨を母から伝えてもらったらしいが、父は耳をかさずに仏壇店に行って一人で決めて買って帰ってきた。 一番価格が安い仏壇を。そういうところが父らしい。
そして母に文句を言われて納品と同時に父の人生最後の買い物は倉庫行きとなった。
私は、当時父が体力に自信がなくなってきたことや、虚血性脳血管障害で酷くふらついたりしたことがあったから、先のことを考えないといけないんだなと思いながらも黙っていたし、母はずっと倉庫の仏壇に見向きもしなかった。
仏壇を買ってから5年後、父は病死した。身の回りのものを闘病前にすっかり捨てて、それはそれは潔い最期で、残ったのは倉庫の仏壇と僅かな身の回りの小物だけだった。
父の死後、間も無く私が実家を訪ねると、驚いたことにあの仏壇が、生前父がいつも一人テレビを見ていたリビングに設置してあった。
しかもたくさんのお供物と庭の花が飾られ、お経の本やら線香立てや、父のたった二つの身の回り品である眼鏡と補聴器までが置かれている、ちゃんとしたお仏壇に変身していた。
なんで生前にちゃんとしてやらなかったか。
勝手な母に頭に来たけれど、よく考えてみると、父は自分に何かあった後、家族に自分の事を忘れられたくないからだと正直に言えず、母の方も、父が自分の最期のことを考えて仏壇を買うと言い出したと感じて、それが淋しくて、でもそう言えなくて、つい父に意地を張ったのだろうと思う。それに私だって何も言わずにいたんだから、人のことは言えない。
「素直に話し合ったらよかったね。お母さんがそっちに行ったら、私がこのお仏壇を引き取って大事にするからね。迷惑なんかじゃないよ。」
私は父の遠慮がちな人生そのもののような、こじんまりとしたお仏壇に手を合わせて言った。