専門紙「月刊宗教工芸新聞」が提供する
仏壇と仏壇店情報
第16回わが家のお仏壇物語
つらい別れは突然やって来た。
今年元日。奥さんの実家に帰省していた兄が被災に遭った震源地はマグニチュード7.6。
電話をしても繋がらず、とにかく仏壇に手を合わせ、無事を祈った。一分が一時間に感じられ、一時間が一日にも思える毎日。
テレビではひしゃげた車や倒壊した家屋が映し出される。もう生きた心地がしなかった。結局兄はその七日後。倒壊した家屋から見つかった。最後まで生きる希望を捨てなかったのだろう。瓦礫の隙間から手を伸ばした状態で見つかった。
そんな兄の葬儀を終えても遺族の心は上の空だった。
「なんで兄が」何度も思った。「なんで、なんで、なんで」未だに思う。これまでは無事を祈っていた仏壇に今度は冥福を祈る皮肉。私はいつまでも泣き続け、泣き明かした末に、もう仏前から離れることができくなった。
でもそれは暗く、悲しい物語ではない。
やがて仏前ではみんなが兄の話をするようになった。
「パパってさ、ぼくが泣いてるといつも男は泣くなって言ってたよね」
「私がドラマを見て泣いてるとそっとハンカチを出してくれたわ」
「母の日には歳の数だけカーネーションをくれたっけ」
「私にがんがわかった時もお前の代わりになりたいって泣いてくれた」
その一つ一つが心の杖。
たしかに仏壇には故人と直接会話する機能はない。だけど手を合わすことで故人の記憶がよみがえる。やさしい『その人』が見える。そうか。供養とは手を合わすことじゃなく、心を合わすことなんだ。今なら泣いている私を見て「そんなに泣くなよ」と兄が言ってる気がする。「オレはここにいるよ」と笑ってる気がする。
まもなく震災から二ヶ月が経つ。今はただ今日を生きられなかった兄の分まで懸命に生きたいと思う。