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第16回わが家のお仏壇物語

佳作「仏壇の思い出」 畠山嘉子(栃木県・68歳)

 なつかしい仏壇の写真が手元に有る。背中を見せているのは姑、左手が当時隣家に住んでいた姑の弟夫婦、写真に収まっていないが、姑の右側には舅が居る。

 これは、岩手県盛岡の夫の実家の仏壇だ。夫の祖父が馬車鉄道で財を為した花巻の家から、教職に就いた舅の仕事の都合で盛岡に移転した時、仏壇だけは新築の家にそのまま移したそうだ。扉等に金箔を豊富に使った豪華な仏壇だった。

 姉と妹にはさまれた長男である夫は、東京で雑誌社に勤務していた。男児二人と四人家族だった私達は、長い休暇や法事の有る度に、高速道路に車を飛ばして帰郷した。

 広い家の中で、仏間は親類、知り合いの人のもてなしの間であった。お盆や仏事の時、花巻から寺の住職を迎えてのおふるまいも取り行われた。

 けれど、この写真の様にくつろいだ時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。

 舅がパーキンソン病を引き金に寝たきりになったのは七十八歳だった。十三年間この家で姑やヘルパーさん達の介護を受けた。その姑も八十五歳の時、脳梗塞で倒れた。姑の希望で二人はベッドを並べ、二十四時間ヘルパーさんに看て頂いた。

 夫と私も休暇の度帰郷した。停年になったら帰郷して両親の介護に専念しようと決めていたが、停年と前後して、半年違いで両親は亡くなってしまった。結局岩手には帰らず、舅が残してくれた那須に家を建てて住んでいる。二人の子は独立したので、二人きりだ。

 盛岡の家をどうするか、思案中である。仏壇を中心に人間関係が築かれていた気がする。舅と姑の魂も御先祖様と一緒にあの仏壇の中に安息しているに違いない。仏壇の扉を再び開き、子供や孫達と歓談したいと願っている。

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