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第16回わが家のお仏壇物語

佳作「仏さまは意地悪」 西城町子(山形県・62歳)

 実家は明治中期に建てられた茅葺屋根の家で、間取りは今でいう6KS。田舎なので広い家でした。南の縁側は日当たりが良く、北側の庭には可憐なユキノシタが花を咲かせていました。広い家の割に仏間はなく、20畳ほどの広間の端っこに仏壇が鎮座しており、その仏壇に毎朝水と炊き立てのご飯を運ぶのが幼い私の役目。一日も欠かさず小皿に盛った白く光る飯を仏壇に供え、意味も分からずにナムナムと唱える。母の「ご飯の匂いと線香の匂いが混ざると仏様が可哀想」の教えもあり、朝に線香をあげない習慣は当時も今も変わりません。         

 ある朝、目が覚めると体中に発疹がありました。その頃流行していた水痘で、痒みと熱にうなされその後3日程は苦しんだように思います。その3日間のある夜、何故か私と母だけが広間に布団を敷いて寝ていた時のこと。痒みが激しく痛みも加わり眠れない苦しさに耐えかねた私は泣き出してしまいました。そして心配そうに私に寄り添う母にこう訴えたのです。「毎日仏さまにごはんあげてるのに、ほとけさまは意地悪だ!なんで病気から護ってくれないの?」子供の先祖への日々の献身は報われないのか、先祖の霊は恩知らずだと母に詰め寄ったのでした。私がその言葉を言い終わらぬうちに、母の目からはらはらと涙が零れ落ちました。私は日頃気丈な母を泣かせてしまったと動揺し、その後どんな話をしたのかは記憶にありません。ほどなく体調は回復し、以降も不義理な先祖を厭うことなく朝の供養は続けられました。先祖の霊も再び子供から恨めしやと言われては敵わんと思ったのか、その後はしっかり子供を護ってくれていたようです。

 あれから半世紀以上経ちました。あの頃は先祖の霊というものは異質な存在でもなく、自分たちの生活の範疇にいつも居るものでした。身近だったからこそ親に言うように先祖の霊にも悪態を付けたのでしょう。

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