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第16回わが家のお仏壇物語

佳作「息子の家の現代仏壇」 中島英三(兵庫県・75歳)

 母が昨年11月末、享年104歳で亡くなった。「いつかはこの日が来る」と長らく心づもりをしてきたせいか、悲しさは思いのほかなかった。とは言うものの、後飾り祭壇の遺影を見るたびに、「そうか、とうとう死んでしまったのか」との思いが湧いてくる。が、すぐさま「そりゃそうだな、104歳だもんな」と納得し、そのつどおりんを鳴らした。

 お逮夜で、私たち夫婦はスマホ動画を頼りに、節回しもたどたどしく西国三十三所の御詠歌を唱え、何とか役割を果たすことができた。また、本年1月9日の104歳の誕生日を唱歌「一月一日」で祝う予定がかなわず、私は簡易キーボードで童謡・唱歌を毎回3曲ずつ演奏し、母を偲んだ。

 17年前に夫を亡くした母は、その後一人暮らしを続けていたが、急病により入院。退院後は引き続き老健施設で10年間お世話になった。私は学校卒業後、都会で就職。そのまま家を持ち、仕事の都合などもあり「もう帰郷しない」と入所中の母に説明し、実家を処分した。母は居室の天井を見つめ「私の帰る場所が無くなるな。昔の人がおったら泣くやろな」と一言漏らした。

 母は、戦後間なしに阪神地域から慣れない県内北東部山村の農家に嫁ぎ、既に77年が経っていた。晴れや曇りの日、雨や雪の日、風の吹く日など、言い尽くせない毎日の暮らしがあっただろう。母にとってかけがえのない「ふるさと」になっていた山村に、あるはずの家が無くなり、遠く離れた息子の家の現代仏壇に祀られるとは、ついぞ思ったことはなかったに違いない。生前には住んだこともない息子の家で49日法要・納骨の日まで過ごし、今、こぢんまりとした現代仏壇の中の同じ位牌に父と並んでいる。

 いたずらをして教室の外の廊下に立たされる常連だった腕白坊主のころから、母に何回かため息をつかせてきた私は、今日も母の位牌に向かい同じ言葉をかけている。

「すまんかったなぁ、おふくろ。長い間、本当にご苦労さんだった。ありがとう」

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