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第14回わが家のお仏壇物語

佳作「わが家のお仏壇の思い出」 松木正則(長野県・85歳)

私の16歳年上の長兄が、太平洋戦争で戦死して80年の歳月が流れた。私の父は、遺骨は戻らず何も入っていない空の骨箱と、位牌をリンゴ箱の上に置き、長兄に朝夕線香を供えていた。当時、我が家には仏壇が無かった。育ち盛りの子供たち4人と父母の6人家族を養っていくには、病気がちの父の稼ぎだけでは余裕がなかったようだ。父の口癖は「仏壇がほしい」だった。
わが家に仏壇を供えることができたのは、父が亡くなって間もなくのことだった。父の遺品から貯金通帳が出てきて、それに戦没者弔慰金が積み立てられていた。弔慰金は年賦支給で高額ではないが一円も使わず貯金していたのだ。家計が苦しいのに手を付けなかったのは何故だろうと私がいうと母は「とうやんは、茂(長兄)の魂だから大事に取っておいたんだよ」と涙ぐんだ。
そのころ私ら夫婦に息子と娘が生まれ、家が手狭になったので、家を建て替えることになった。家の建て替えで期待したのは、仏間を作れることだった。和室の床の間の横を、仏壇を供えるスペースにするのだ。とはいえ、家のローンを払っていくうえに、高価な仏壇を購入する余裕はない。つい「まとまった金があればなあ」と私がつぶやいたのを聞いた母が、すかさず「とうやんの通帳…」と、父の遺品の貯金通帳を渡してくれた。母は、「この銭は死んだ茂(長兄)の魂なんだ…」といった。通帳の預金額は、仏壇を買うのに十分足りた。母は、「茂も帰るところができるし、とうやんだって喜ぶよ」といった。
早速、飯山市の仏壇の街に出向いた。我が家の仏間スペースにあった仏壇を購入することができ、長年の夢が叶えられると家中が喜び湧いた。煌びやかな仏壇が届くと、長兄の月命日に庵主さまに来てもらって供養の経を上げてもらうようになった。やがて庵主さまが高齢で来られなくなり、それから後は、私が毎朝自己流の「般若心経」朗誦を続けている。仏壇そのものが長兄の魂だと信じて。

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